知人から聞いた話だ。
彼は結婚しているのだが、奥さんも働いている。
いわゆる共働きだ。
共働きなので、自然に夫婦の共通の話題の一つは「仕事」になるのだが、最近奥さんが会社について愚痴ることが多いという。
「どんな愚痴?」と私が聞くと、彼は次のように言った。
奥さんは事務職で、書類のチェックをすることが仕事だという。
「ミスをしないように気をつければ、誰でもできる仕事」とのこと。
近頃はこういった「楽な事務職」は少ないので、ある意味貴重な職場とも言える。
さて、その職場で、奥さんはかなり仕事が早い方だ。
「同じ事務職のなかでは圧倒的にトップ」だそうだ。
なぜなら、「絶対に残業したくない」と決めているからだ。
実際、もうその職場で4,5年働いているが、一度も残業したことがないという。
「なんで奥さんは残業したくないって決めてるの?」
と聞くと、
「副業しているから」と知人はいう。
彼が言うには、奥さんは自分でマンションを複数所持しており、それを「民泊」などで貸し出しており、年間1000万円以上の収入を得ているとのこと。
「もちろん、ローンその他で、利益はそんなに出ないけどね」
と知人は言うが、事務職の給料が年間300〜400万円程度であることを考えれば、結構な稼ぎである。
「残業をせずに済んで、副業までできるのだから、いい職場じゃない」と知人にいうと、彼は言った。
「いや、それなんだけど、最近会社から「残業してくれ」って言われるんだよ。「終わってない人の仕事を手伝ってくれ」って。」
「……?」
「要するに、妻は仕事が速いから、1日の自分の担当分はサッサと終わらせて家に帰る。ところが他の事務員たちの仕事がずいぶんと遅いらしく、残業している人もたくさんいるらしい。」
「ほうほう。」
「……で、終わってない人の分を分担してくれ、と。」
「残業代はちゃんとでるの?」
「でる。」
「じゃあ……」
「いや、けど、給与体系が年功的で、結局「仕事の遅い人たち」と給与が同じになってしまう。つまり、妻のほうがたくさんの仕事をこなしているのに、給料が低い状態になってしまう。」
「だったら、残業なんかやるよりも、副業がしたい、ということ?」
「そう。おまけに、他の事務員が上司にチクるらしい。「あの人はさっさと先に帰ってしまって、残業しないので、不公平だ」と。」
「それはww」
「だろ、おかしいよな。仕事が遅いやつが、他の人に仕事を押し付けて、残業代までもらって。」
「協調性がないのはどうかと、上司に言われたらしい。どうやら同僚が上司にクレームを出したらしいんだよね。」
「協調性www」
「結局、成果じゃなくて拘束時間に対して給料が出るんだよな。妻は「意地でも残業しない」って言ってるし。」
「その上司は、奥さんの給料をあげようとしないの?」
「年功的、だから、長くいると自動的に少しずつ給料が上がるらしい。」
「……。」
この話を聞いて、2つのことを考えた。
まず、奥さんが「残業を断り続けている」のは、懲戒処分をもらってしまう可能性があること。
少し心配である。
通常、業務命令は正当な理由なく断ることができない。
「副業をしているから」という理由が正当と認められるかどうかは微妙である。
参考:
残業命令を拒否した社員を懲戒処分できるか (日立製作所武蔵工場事件)
◆残業を命じるには36協定の締結が前提
◆就業規則の内容が合理的であれば具体的労働契約の内容に
◆懲戒解雇まで認められるのは例外的であることに注意
上司や同僚からすれば、奥さんの動きは、「会社の和を乱す」輩であり、罰してやりたいと思う人も中にはいるだろう。
だが一方で、私は「奥さんが残業を拒否する」のは、当然のことだとも思った。
なぜなら、この話の本質は「残業をするかしないか」という話ではないからだ。
奥さんが問題にしているのは
「私は、他の人より仕事が早くて帰れているだけなのに、なぜ同僚の分まで引き受けて、残業を強制されないといけないのか」
という話なのだ。
しかも「仕事が早いのに給料は同じ」ということであれば、
「優秀であるほど、時間単価が低い」
という矛盾を抱えた賃金制度だということになる。
これを無視して、「残業しないのはケシカラン」という上司は、どう贔屓目に見ても、クソな上司だろう。
奥さんが、
「そんなんだったら、時間単価の高い副業するわ」
というのは、合理的である。
*
さて、上のような場合、奥さんの取るべき、ベストの選択肢はなんだろうか。
1つ目には、実力がそのまま賃金という形で評価される会社に転職する、という選択肢がある。
ただし、現在は事務職の募集は少なく、同様の職が見つかるかどうかは疑問である。
2つ目は、上司や同僚の言うことを全く気にせず、残業を断り続けるというもの。
ただし、こういった上司や同僚と一緒に1日8時間を過ごすのは苦痛だろう。ストレスも溜まるので、割に合うかどうかは疑問だ。
ただ、上の2つは、正直知人の奥さんには勧められない。
仕事をきちんとやっているのに、結局不利な条件を飲まされるだけだからだ。
なので、3つ目は、ちょっと手間はかかるが、もう少しマシな選択肢だ。
私だったらこれをやると思う。
それは、残業することをある程度認める代わりに、給料を上げてもらう交渉を(できれば社長と)すること。
その際に重要なのは、「私はこれだけのことをしている」という記録、例えば1日で処理した書類の数、ミスの数などをきちんとつけて、
社長に成果をアピールすることだ。
基本的に中小企業の社長は、ほぼ確実に「成果で評価したい」と考えているため、社長も、ちょうどいい機会とばかりに、評価体系を変えてくれる可能性がある。
また、評価体系が変化すれば、他の人もダラダラ仕事することができなくなり、全体の残業も減るだろう。むしろ、他の無能な事務員があぶり出されて、万々歳である。
社長としても、最も望ましい結果だろう。
ちなみに、上のような場合、上司に相談してはいけない。
この上司は最悪だ。
他の事務職に嫌われたくないあまり「できる人」に会社の矛盾を押し付けているあたりが、特に無能を感じさせる。
中小企業の管理職によくある、「昔からいるだけで管理職になった」無能の典型的なパターンである。
結局の所、待遇の改善は自分で動かなければなにもない。
ただ、やり方さえ間違えなければ、特に中小企業であれば「成果」を気にするだけで劇的に待遇改善を勝ち取ることもできる。
そんな話を、知人としたのだった。
この記事を書いたのは
- Tinect株式会社 代表取締役。1975年東京都生まれ。Deloitteにて12年間コンサルティングに従事。大企業、中小企業あわせて1000社以上に訪問し、8000人以上のビジネスパーソンとともに仕事をする。仕事、マネジメントに関するメディア『Books&Apps』を運営する一方で、企業の現場でコンサルティング活動を行う。
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