「給料が下がって、頭が悪くなってしまった時」の話。


「給料が下がって、頭が悪くなってしまった時」の話。

今から約20年前、私はコンサルティング会社に入社した。

 

今はコンサルティング会社がかなりの人気を博しているようだが、当時、コンサルティング会社といえば、怪しい会社、国内大手企業に行けなかった人が行く会社、という位置づけだったと記憶している。

今で言う、ベンチャー、スタートアップ志望に近いイメージだ。

 

特に2000年頃は就職氷河期と言われた年代で、内定を貰えれば、もうどこでも就職してやれ、という風潮だった。

 

 

初年度の年俸は確か480万くらいで、

世間一般からすれば「給料は高いけど、なんだかよくわからん会社」という評価だった。

親も同様で、就職したことを知らせても、「どこそれ?」という顔をしていたし、

友達にも「どこそれ?」と言われて、説明するのが面倒なので、何も言わなかった。

 

 

とはいえ、給与が若干高めに設定されていたので、その話を友達に聞かれると

「なんかすげー」という目で見られる一方、「すぐにクビを切る会社なんじゃない?」と、嫌なことを言われたりもした。

まあ、いいんだけど。

 

ただ、その心配は妥当で、新卒に高い年俸を払う会社は、たいてい厳しいノルマや長い労働時間、そして不安定な身分とセットだった。

 

 

さて、入社してすぐ、心配は的中した。

 

実際、私が入社した部署は、労働時間はとんでもなく長く、仕事は厳しかった。

朝7時に会社に行き、退社は夜中の1時、2時。

今では考えられないような労働環境だ。

 

特に私の直属の上司は、仕事に関して一切の妥協がない人間で、耐えきれずに辞めていく人も多かった。

なにせ「初日にやめちゃった人」などもいたのだ。

 

友人にはその働き方を「おかしい」と指摘され、「安達はノイローゼだ」と、揶揄されたものである。

 

 

ただ、それをくぐり抜けた人間に対する見返りは大きかった。

 

それは、昇進・昇給のスピードの速さだ。

幸いにして私は仕事である程度の成果を残すことができたので、最初の三年は、年俸が200万円ずつ上がって行った。

四年目に私の給料は大台の1千万円を越し、二十代でそれなりのお金を手にすることになった。

 

当時、同じ年齢で、これ以上稼げている人は、私が知る限りでは、おそらく外資系の金融に勤めている人々だけだった。

 

ただ、これは私の金銭感覚を大きく麻痺させた。

「給料とは、年間に200万円ずつ上がっていくもの」という体験をした私は、「大きな昇給」というものが、すっかり普通になっていたのだ。

 

 

ところが、入社五年目。

二十代の終わりだ。

 

前年に思うように成果を上げることができなかった私は、「年収ダウン」を初めて経験した。

 

しかも、前の年の住民税の支払いが重くのしかかる。

「給料は上がっていくもの」と勘違いしていた私は、生活の見直しを余儀なくされた。

 

 

それは、想像していたものよりも惨めなもので、私は日々、イライラしていた。

 

挙句の果てに、自分のミスを安易に会社のせいにし、転職を考えた。

このまま残留しても、チャンスはなく、時間の無駄であるのでは、と思ったのだ。

 

そんな態度の悪い私に説教をする人間もいた。

 

曰く、給料は定期的に上がるものではなく、働いて、成果を上げて、交渉して、次の1年を勝ち取るものだと。

成果が出なければ、容赦なく年俸は下がるし、勝ち取ったポストもなくなるもんだと。

 

実際、ウチの給与規定には、「成果と能力で評価されますよ」ということが書いてあるだけ。

毎年定期的に昇給します、とかは一切、書かれていないのだ。

 

しかし、そうして正論を言われれば言われるほど、不機嫌はつのった。

俺は悪くない、会社が正当に評価しないのが悪い、上司がクソだから悪い、そうとしか思えなかった。

 

私は給料が下がったせいで、すっかり頭が悪くなってしまっていたのだ。

 

 

*

 

 

このまま行けば、すっかりダメ人間になるところだったのだが、幸いなことに市況が好転し、また次の年には成果が出て、給与水準は奇跡的に元に戻った。

 

なんのことはない、実力ではなく、市況が私を救い出してくれたのだ。

お陰で私は冷静さを取り戻し、考えることができるようになった。

 

しかし、なんとも恐ろしい経験だった。

給料を下げられると、頭に血が上って、冷静に考えることができなくなる。

これは非常にまずい。

 

何を言われてもムカつくし、上司の言うことはすべて嘘に聞こえる。

それほど、給与が下がることのインパクトは大きかった。

 

私は、それ以来、考え方を改めた。

給与というのは、最低水準で考えておいて、下がったとしても冷静でいられるようにしないと、結局自分が困るのだと。

 

 

一方で、私のかつての同級生たちは、全く別の人生を送っていた。

 

大きく給料が上がることもないが、定期的に給料が上がり、給料が下がることはまずない。

 

「今年は給料が下がった」と私が言うと、「給料が下がるなんて事があるんだ」と、気の毒そうに見られたこともある。

 

そうして、30代くらいになると、皆は家を買い、車を買いだした。

 

「家を買わないの?」と知人たちに言われたが、とてもではないが、いつ収入が減るかわからない私だ。怖くて家を買うことなどできなかった。

 

そんな私を見て、

「どうやって生活の見通しを立てるの?」と聞かれたこともあったが、

「見通し立たないよね」としか、答えようもなく、私は運良く稼げたときには、車も家も買わず、貯金をしておくという習慣が身についてしまっていた。

 

彼らの目には、私のような働き方は、「不安定な雇用で、歩合制の給料の会社」と映っていたに違いない。

 

まぁ実際、その通りだったのだが。

 

ところが、ここ10年ほどで、すっかり様相が変わってしまった。

 

「定期昇給がなくなった(小さくなった)」という人が、増えたのだ。

つまり「成果で評価され、給与が上下する」ようになったということだ。

 

ある人は、転職先に定期昇給がなかったと言う。

ある人は、会社の業績が悪化し、定期昇給がほぼ消えたという。

新興の会社には「定期昇給」そのものがない所も多い。

 

 

そんな状況を受けて、少なくない数の知人たちは、「定期昇給がなくなった。会社がおかしい、違法ではないのか」などと、不満を述べていた。

 

そう。

今まで昇給があった人が、それをなくされたら、さぞかしショックだろう。

私はそれを良く知っている。

それを受け入れるためには、単純に言えば、私が二十代で経験したような転換が必要だ。

 

だが、10年、15年と昇給が当たり前の世界に生きてきて、突然「今年から昇給はなくなりました」と言われたら、人はすぐに変われるだろうか?

 

多分無理だろう。

こうして彼らも、冷静に自分を見つめることができなくなってしまった。

「自分は悪くない、世の中が悪いんだ」と。

 

その気持は、十分すぎるほどわかる。

 

 

橋本治の著作に、こんな一文がある。

まず思いつくのは 、 「自分はしかるべき立場 」を失ったと気づいた時 、人は不機嫌になって 、 「ムカつく 」という状態を日常的に抱えてしまうということだ 。 「一億総中流 」が崩れた後で 、日本人の中に 「不機嫌 」が生まれたように 。(中略)

 

人は 、不遇になって 「自分のあってしかるべき立場 」を失ったと気がつくと 「ムカつく 」になり 、そこに 「自分の気に入らない言説 」を流し込まれると 、反知性主義になる。

(出典:橋元治 知性の転覆)

人は「当然と思っている権利」が損なわれると、不機嫌になり、頭が悪くなってしまう。

ちょうどあの頃の私のように。

 

「日々感謝しよう」という、題目を唱える人々がいる。

 

私は精神論を軽蔑していたが、案外、人生の荒波を不機嫌にならずにやり過ごせる、というソリューションとして、そのマインドは合理的なのかもしれない。

 

 

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この記事を書いたのは

安達 裕哉
安達 裕哉ライター
Tinect株式会社 代表取締役。1975年東京都生まれ。Deloitteにて12年間コンサルティングに従事。大企業、中小企業あわせて1000社以上に訪問し、8000人以上のビジネスパーソンとともに仕事をする。仕事、マネジメントに関するメディア『Books&Apps』を運営する一方で、企業の現場でコンサルティング活動を行う。