
私が就職活動をしていたのは2002年。
その年の大学生にとっては絶望的な超就職氷河期でしたが、私は幸運にも一部上場企業から内定をもらうことができました。
その後は、卒業研究とわずかな残り単位をクリアすれば、私はそのまま社会人となるはずでした。
しかし、就職活動を終えた9月に自分でも原因不明の体調不良に襲われ、大学に行けなくなり、そのまま留年が決定しました。
家族の勧めで受信した精神科クリニックで、私は統合失調症と診断されました。
20代という大切な時期に障害と貧困が襲い掛かります。
人生の転機になったのは30歳の時です。
就労移行支援事業所と呼ばれる、障害者が就職するための訓練施設へ通所したことがきっかけで、少しずつ前向きになることができました。
そして障害者雇用を経て、38歳の時にフリーランスとして独立しました。
会社員として働き続けることもできましたが、私はフリーランスになりました。
なぜだと思いますか?
今回は障害を持ちながら、さまざまなかたちで働いてきた私の体験談について紹介します。
だれもが精神疾患にかかる可能性がある現代
今の時代、「メンヘラ」という言葉を簡単に使っている人が多い気がします。
「精神障害者」という言葉に比べれば軽い感じがする言葉であり、社会の中に心の不調を持つ人が増えて、気軽にカミングアウトできる世界になってきたのだと思っています。
「ブラック企業」という言葉も流行し、厳しい会社員生活で精神をズタズタにされて退職を余技なくされた人の話も耳にするようになりました。
しかしメンタルの障害は、何の前触れもなく発症することもあるのです。
私は統合失調症ですが、実は原因らしい原因がないまま発症しました。
なんとなく気持ちが落ち込んで、学校に行けなくなり、そのまま精神科クリニックに送り込まれました。
統合失調症と診断された私でしたが、当時の自分は病気であるとは思っておらず、なんとか大学だけは卒業しようと、留年や休学を繰り返しました。
しかし結局、退学することになりました。
27歳の時でした。
大学を辞めた私は、生きるために近所の100円ショップでアルバイトを始めます。
100円ショップのアルバイトすら厳しい
100円ショップでのアルバイトはいわゆる「クローズ就労」でした。
障害を隠して働くスタイルのことを、障害福祉の世界ではこう言います。
「レジが簡単そうだから」という理由で選んだ仕事でしたが、統合失調症である私にとって接客の仕事は厳しく、先輩のパートのおばちゃんから毎日叱られる日々が続き、9ヶ月で辞めてしまいました。
この段階で収入は障害年金だけになり、圧倒的な貧困生活を送るようになります。
就労移行支援事業所の通所をきっかけに前向きになれた
精神科病院のスタッフからの紹介で、近所の就労移行支援事業所で訓練を始めました。
就労移行支援事業所とは、就職を希望している障害者を集めて、ITやビジネスマナーなどの訓練をする施設です。
ここで訓練をしながら、禁煙にも成功し、少しずつ気持ちが前向きになってきたことを感じました。
事業所ではホームページ制作の訓練をしていました。
私は大学生のころから趣味でホームページ制作をしていたこともあり、訓練という名目でしたが、実際にはお仕事として民間企業のホームページ制作などを担当していました。
しかしあくまでも訓練なので、この段階では賃金は一切発生しません。
事業所での訓練と並行して、個人的に情報セキュリティスペシャリストやMicrosoft Office Specialistの資格なども独学で勉強して合格しました。
このような努力が認められて、私は訓練施設の職員として働き始めることができました。
就職したと言っても所詮、障害者雇用です。
職場には健常者の上司がいて、その上司の指示に従って仕事をする日々が続きました。
職場で働いているデザイナーやエンジニアは障害者ばかりでしたが、健常者の上司は、もともと福祉施設の社員だったので、ホームページ制作のプロというわけではありません。
彼はデザインもプログラミングもできない人だったので、とりえあえずディレクターという役職で働き、現場の指揮をしていました。
資格手当やスキルアップのための環境は一切ありませんでしたが、そのディレクターは現場のスタッフにスキルアップを要求し、その割には現場のスタッフに対して的外れな指示をするような人物でした。
「このままここで働いていても、いい仕事はできない」
仕事をしながら、そんなことをぼんやりと考える日々が続きました。
そして給料に加え、障害年金をもらっていたことと、実家で暮らしていたこともあり、ちょっとした貯金もできていたので、思い切って会社を退職してフリーランスになることを考えるようになりました。
2017年の9月、上司に会社を退職したいと告げました。
私はきりのいい2017年12月に退職するつもりでしたが、業務の都合がどうしてもつかず、上司からの懇願もあり2018年3月まで会社員として働きました。
そして2018年4月に開業届を提出して、フリーランスとなったのです。
フリーランスを選んだ3つの理由
前職を退職した段階で、別の企業に転職するという方法もありました。
しかし、私はフリーランスとして働く道を選びました。
理由は以下の3つです。
・Webライターの仕事がしたかった
・精神障害者を雇用する企業は少ない
・会社に頼らないで生きていける力を付けたかった
この3つの理由について、詳しく紹介します。
Webライターの仕事がしたかった
もともと趣味でブログをやっていたので、インターネットで文章を書く仕事をしたいという気持ちを持っていました。
その思いを後押ししたのが、Webライターの吉見夏実さんが書いた「頑張ってるのに稼げない現役Webライターが毎月20万円以上稼げるようになるための強化書」という本でした。
この本は2017年8月に発売された本で、ちょうどフリーランスとして独立しようかどうか悩んでいる時期に手にすることができました。
クラウドソーシングを使ってWebライターの仕事をする人にうってつけの内容でした。
独立してからも何度も何度も読み返した1冊です。
精神障害者を雇用する企業は少ない
企業には障害者の法定雇用率というものがあり、一定割合の障害者を雇用することが義務付けられています。[1]
しかし、障害者雇用として採用される割合が多いのは、今も昔も「身体障害者」です。
今でこそ、法定雇用率に精神障害者が含まれるようになりましたが、精神障害者の雇用に積極的な企業は少ないのが現状です。
また、Webライターの仕事ができる会社がなかった、というのも企業に転職しなかった理由でもあります。
会社に頼らないで生きていける力を付けたかった
フリーランスとして生活できるようになれば、会社に依存しないで生活できる力を身に付けることができると思ったことも、独立した理由の1つです。
実際にフリーランスになって1年が経過しましたが、会社に頼らないで生きていける力を身に付けるのは、とても難しいと痛感しました。
これに関しては、これからも努力が必要だと感じています。
精神疾患があっても働けることが幸せだと心底思う
自称メンヘラフリーランスになって1年が過ぎ、フリーランスという働き方の厳しさをひしひしと感じる日々を送っています。
民間企業は障害者を「障害者だから」という理由で雇用しますが、フリーランスにはそんな事情は考慮されません。
健康な人も障害のある人も、平等に成果が求められ、平等に評価される世界がフリーランスです。
厳しいように思いますが、個人として評価されるこの世界は私にとって充実した世界であるようにも思えます。
フリーランスという働き方をいつまで続けられるのか、自分でもわかりません。
障害者であることを活かして、障害者雇用として就職を希望すれば、中途採用でも大手企業に就職することはできるようです。
「いざとなれば会社員になればいい」
甘いと思われるかもしれませんが、心の中でこんな風に考えている自分がいます。
私には、フリーランスとして名をあげて、有名になりたいという欲は全くありません。
自分一人の生活だけを守ることができればそれでいい。
今は、ともかくメンヘラを自覚して生きていくことで、配慮も差別もされずに働くことができることの幸せを感じて、自分らしくいられることに満足しているだけなのです。
<参考・参照サイト>
[1] 「障害者雇用率制度の概要」(厚生労働省)
この記事を書いたのは

- ライター
- フリーライター&Webクリエイター。奈良県在住。2018年4月より個人事業「コレカラウェブ」を開業。20年間のWebクリエイター経験を活かし、WordPressやSEOに強いライターとして活動中。難しいことを分かりやすく伝えるをモットーに執筆しています。趣味は読書・散歩・マラソン・写真。
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